「おもてなしの心」

昨日、新宿で息子の「結婚披露宴」があった。
このように第三者的な言い回しをしたのは、
すべて、息子達:新郎・新婦の二人で、
企画・運営してきた披露宴であったからである。
最後に新郎の父として、参列者にお礼を述べたが、
そこでも言ったが、今回、親として何もしてやれなかった。
資本と経営の分離ができない中小企業の元経営者としては、
「カネを出さないならクチも出すべきでない」と、思っていたから・・・。
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我々団塊の世代には、「旧い考え」と「新しい考え」が併存している。
「結婚披露宴とは家と家との結婚のお披露目」という、旧い感覚もわかる。
また、憲法24条の「婚姻は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨とする」
という規定の意味もわかる。
2〜3年前に結婚披露宴をやっていたなら、
親がお金を出したからと、本人たちの意向に関係なく、
政治的な、旧来型の結婚披露宴になっていた気がする。
本人達にはあまり関係のない、議員さんのスピーチとか、
入れ替わり立ち替わりの偉い人のスピーチとか、
キャンドルサービスだとか、スモークの演出だとか・・・
今回はそんなものが一切無かった。
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新郎側、新婦側の2人の主賓のお祝いの後、乾杯の挨拶があり、
その後、料理が運ばれ、みんなが食べている間は、
一切の強制的なスピーチもなく、
楽しく歓談しながら、料理を楽しめた。
「次が自分のスピーチだから、飲めない、食べられない」という、
誰かを犠牲にした宴会ではなく、
また、食べてる側も、話している人に気兼ねするということもなかった。
最後に食事が終ってから、学生時代の友人達がみんなで祝ってくれていた。
はじめのうちは、「間が持てなくて、お客様が飽きてしまうのではないか」
と、ハラハラ、ドキドキ心配したが、
落ち着いてくると、
「これって、いいかな」と思えるようになってきた。
列席されたお客様との間をつなぐのは、
当日の朝まで二人で徹夜して作った、
ひとりひとりへのメッセージ・カードだけ・・・
同じ時間と空間を共有して下さるお客様に喜んで頂くには何がいいか、
ここに「おもてなしの心」の本質があると思った。